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【読書】貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

 

 

遅読なのでまだまだ前半戦なんだけど「なるほどなぁ」と思うところがあったので、書いておこうかなって感じ。

貧乏な人たちにどうすれば予防接種を継続的に受けてもらえるか的なところで、はぁーなるほど。問題はこっち側にもあるのかと。

この「全か無か」という議論はもっともらしく見えるだけです。たとえ自分の子供の予防接種が病気を根絶させなくても、自分の子供だけでなくまわりの子供たちも助けることになります( 36)。ですから基本的疾患に対する完全予防接種率を6パーセントから 38 パーセントに上げることで、大きな社会利益が生じるのです。  結局のところ、景品による予防接種に対する不信感は、主流の政治的分布で右派と左派の両者にとって、信念の問題に起因するのです。人々がやるべきだと あなたが 思うことをさせるのに、金や物で釣ってはならないという信念です。その理由は右派の立場だと、それが無駄遣いされるからということになります。保健団体やセヴァ・マンディールから派遣された良心的な医師を含む、伝統的な左派に言わせると、これは与えられた物とそれを受け取った人の両方を貶めることになるからです。だからむしろ、貧乏な人に予防接種の利点を納得してもらうことに専念すべきだ、というわけです。  このいずれの考え方も、こうした問題などに対する考え方としていささか的外れだと思います。

予防接種受けると豆がもらえて、予防接種全部通うとステンレスの皿がもらえるキャンペーンをやったら接種率がドーンって上がったよって話ね。

貧乏な人たちは知識がないからとか、現地の宗教を信じてるからとか色々言われるんだけど、別にそこまでじゃないよねって話。そうではないしそれって的外してるよねっていう。

理由は2つあります。まずダール豆900グラムの実験で明らかになったのは、少なくともウダイプールでは、貧乏な人々はあれこれ信じこんでいるように見えても、その多くはさほど決然たる信念などではないということです。ダール豆をあきらめるほどには邪眼を恐れてはいないのです。つまりこれは、みんな実は自分にはワクチンの費用便益を評価できるほど強い基盤などないということを自覚している、ということです。実際に自分たちのやりたいことがわかっているとき―不幸ではありますが重要な例として、娘を相応のカーストや宗教の人と結婚させる場合など―には、それを金や物で動かすのは容易なことではありません。ですから、確かに貧乏な人々が持つ信念の一部はとても強固ですが、すべてがそうだと考えるのはまちがっています。

これがまちがっている理由はもう一つあります。右派も左派も行動は意思に基づくものだと考えているようです。もしも人々が予防接種の価値を認めれば、子供たちは予防接種を受けることができるというわけです。これは必ずしもそうとは限らないし、その含意は実に広い範囲に及びます。

 最近思うのが上にも書いてあるんだけど、「全か無か」とか「右か左か」というか、物語が邪魔をしているというかなんというか… 僕はTwitterでよく見るような右も左も大嫌いだけど、政治や社会に興味はあるんだよね。でもそれって物語の対立なだけじゃない?ってことが多かったり、どちらが正しいのかを言い合うだけ。みたいなの多いじゃん。あとは、大きな枠の中にはめ込むっていうか単純化するのが目に余るというか、行き過ぎてるというか、すごく嫌な感じがするんだよね。もちろんそうじゃない人もたくさんいるんだけど、なんだかなって感じがずーっとしていたので、この本読んでホッとしたよ。

 

そんな感じかな。さて読み続けよう。